タイトル:悲しい対馬丸の話
文:久野登久子 山本和昭
英文:松平恒忠
絵:佐藤八重子
発行所:フレーベル館
ISBN:978-4577037553
太平洋戦争末期、学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃で沈没。多くの子どもたちが犠牲になった「対馬丸事件」を絵本化。
悲しい対馬丸の話- フレーベル館
「悲しい対馬丸の話」をよんで
沖縄には「慰霊の日」という日があって、戦争で亡くなった方々を追悼し、二度と戦争をしてはいけないと誓い合っているそうです。
1945年6月23日、日本軍の組織的戦闘が終わったとされる日があります。戦後その日が「慰霊の日」とされました。
このお話の「対馬丸事件」は、その前年の8月22日に起きた事件です。沖縄に日本軍の兵隊がたくさんやってきて、戦争は激しくなり、子ども達は九州へ「疎開」する事になりました。
「対馬丸」という船に1600人あまりの子どもや大人を乗せて、護衛艦につきそわれて、那覇から長崎に向かいました。
その途中、米軍の潜水艦からの攻撃をうけて沈没しました。生き残った人もいますが、この本によると1418人がなくなり、そのうち775人が子どもだったそうです。
そして生き残った子どもたちも、やっと親元に帰れた頃、1944年10月10日の空襲の被害を受けるのです。
私たちが「沖縄戦」として教えられたのは、1945年4月1日から6月22日のはずですが、それは「組織的な戦闘」ということのようです。
その前年に、沖縄でこんなにたくさんの子どもが犠牲になったなんて、沖縄にこれほどの被害があったなんて知りませんでした。
私は「対馬丸」という言葉は聞いたことがありましたが、図書館でみつけたこの本で、内容について知りました。
本当に悲しいとしか言いようのないお話ですし、二度とこんな事が起きてはいけないと思います。
ところで、今では沖縄戦の始まった4月1日よりも前に「沖縄に米軍が上陸した」と知られているようですが、私はかつて旅行先で偶然知りました。
慶良間諸島にある阿嘉島に「世界平和記念碑」があります。そこには、1945年3月26日早朝、「米軍が日本に上陸した第一歩の地」と記されています。
あんなにきれいな海に戦争のために上陸したなんて、想像しただけで心が折れそうでした。
「戦争」という歴史的事実を教えられても、どこかそれに現実味が感じられないのは、詳細について教えられる事がないせいだと思います。まして、それが体よく書かれていれば尚更です。
日本のあちこちに「記念碑」や「記念館」があると思います。この対馬丸の記念碑や記念館もあります。旅先にもしそういう場所があれば、立ち寄りたいと思います。
人が人らしく暮らしていける平和な世界でありますように。
おわり
話がまとまらないので一度おわりにしましたが、私が立ち直れないほどクラクラと来てしまった記念館は、鹿児島県にある「知覧特攻平和会館」です。(沖縄でなくてすみません)
なんか今、偶然知りましたが、ここは「口コミで人気!日本の博物館ランキング2019」で一位に選ばれたそうです。
私も推します。
私が今でも目にやきついているのは、特攻に行く若者の残した手紙などです。とても綺麗な字と文章で書かれていて、十分な教育を受けていた若者たちだと分かります。
大切に育てられて、そしてこれからの未来には希望しかなかったはずの若者たちが、特攻で命を落としていった事には、くやしさしか残りませんでした。
とてもアクセスしにくい場所にありますが、知覧はお茶や武家屋敷もあるので、観光に良いと思います。
ほんとにおわり
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