今回の記事は、だいぶ前に書いたものです。
育児について「こうしなければ」と肩ひじを張っていたときに出合い衝撃でした。
我が子に全部きちんと読んだわけではありませんが、時々一編を読むと喜びます。
やはり、良い本だなと思うので、古い記事ですがこちらに載せます。
黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」読みました。
ベストセラーなのは知っていましたが、読んだのは初めてです。
育児本というわけではないけど、育児するときに心にとどめておきたいイメージが、
トットちゃんの経験を通じて、はっきり形になっている本だと思いました。
どういう子に育てたい。
どういう親でいたい。
どうしないといけない。
いろいろあるし、頑張れば頑張った分、頑張り方が異様でも自分が正しくなるし修正してくれる人がいないのが育児の落とし穴だと思います。
子供にとっては、
すべてが新しい経験で嬉しい事悲しい事、
受容拒絶も期待も挫折も、
子供自身が獲得するもので、
その事案自体をどう感じるか実際どう行動するか、子供自身は判断できるんだと思います。
親は衣食住だけでオケー。
とはいえ、
今の教育環境を考えますと、やはり横並びは基本中の基本。
そのうえさらに突出して初めて子供を認められる保護者心は、私にもあります。
今の時代も昔の時代も、トットちゃんに与えられた環境は普通には与えることはできないと思います。
でも、こういう風に見えている世界。
子供の世界。
そういうものを「活字」で再確認するのは、親として有意義な事だと思います。
子供が生まれた時、
そこから毎日毎日、本当に日毎に大きな成長をみせては、親を驚かせていたこと。
まだ言葉も話せず、何を考えているのか、何が足りないのか一生懸命よりそって過ごしたこと。
その頃と今(もっと先、小学生ですら)、
親は何が変わっていくのか(相対的な比較だと思いますが)、あれだけ子供を見守ったからもう職責をはたしたと思うのか、
いつからか配下に置こうと、むしろ自分の配下でなく、だれかの配下でもいいからと、
だれかの配下のふりでもいいからと。
たぶん、義務教育のイメージに、はまってる中で突出していてほしいと思うのですね。
わたしも、基本、ふつうの小学校でふつうにやるのは当然で、さらに何かは突出してできていてほしいと思います。(鉄道でもいいから、一番になってほしい。)
それはそれで「ふつう」なら、そうならないと厳しいと思います。
でも、時々、
子供の感じ方に間違いがあるわけでないと思えると、
時々、
子供がどれだけ成長をしてくれたか思い出す事ができれば、
子供に感謝もできるし、ひとりの人間として見つめる事もできるかなと。
自分と子供は別の人だと、ともすると放任なんて言われる事もあるかもしれないけれども、
もし、自分の子供が自分の子供だと思うなら、信じて待つ事ができるのは親だけなんだと思います。
本当は教育者こそ、そうであってほしいんですけどね。
やっぱそうでもないのが現実よね。
とか、日々の育児サイクルのクールダウンにはもってこいの一冊だと思います。
ぜひ。
だね。
この記事、我が子が年少さんの頃に別のブログで書いたものです。
自分、どれだけ真面目に育児してたんだろう。
と、過去の自分に
「もう少し、もっと、ラクして大丈夫だったよ」
と、言ってあげたいです。
初めての「集団生活」に子どもを置いてみて、周りを見て色々感じたのでしょう。
「ママ」を育ててくれる人は、なかなかいません。
だけど、だからこそ、
自分の子を信じている事だけは、ママにとって重要な根拠になると、
私は思います。
おわり
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