- タイトル:びんぼうがみじゃ
- ISBN:9784774612652
- 作:苅田澄子
- 絵:西村繁男
- 出版社:教育画劇
※感想文ですので、内容について書いています。ネタバレお嫌でしたら読まぬようお願いします。
「びんぼうがみじゃ をよんで」
とても新鮮なストーリーでした。と、いうのは、読み始めるまでは何も考えていなかったのもありますし、すんなりと、言葉と絵にまかせて物語が楽しめました。
「びんぼうがみ」は「お団子屋さんをやっている、たっくんのお家」に来ます。このお店が、もともと繁盛していたのが、そもそも繁盛していたのが、「たっくんのお家」だからなんだなと思いました。
このお話は、おいしいお団子屋さんに「貧乏神」が来て、お団子がまずくなったりお店がこわれたりするのですが、「たっくん一家」は「びんぼうがみ」を追い出すわけでもなく、一緒に生活するのです。
とても普通に受け入れて「びんぼうがみ」のためにしてあげられるのです。どう考えても自分たちの事を後回しにしています。まるで楽しんでいるかのように、居られるのです。
このお話を読みながら、不思議と「それ以外の選択肢は、あたかも無い」と思えます。それは、「びんぼうがみ」が登場した時の「私の思い・予想」とは「真逆」の感覚でした。
それだけ「たっくん一家」の行動は自然で、おそらく「選択肢」なんて存在していないのです。
こういう風に居られたら。どうしても「育児」とつなげて考えてしまいます。
私は母として関わりたくないものと関わる羽目になることがあるのですが、そういう時に母に愚痴ると、、、
「お母さんはね。目の前にあるものは与えられたものだと思って引き受けるよ。」と、私に諭すのです。
それを言われるたびに、「詭弁である」と、心の中で反論することもありました。今も母から言われたら、同じく反論するでしょう。
悔しいですが、もしかしたら本当なのかもしれません。「目の前にあるものは与えられたものだ」というのは、回避する努力をしない事だと考えていましたが、「回避」なんていう選択肢はないのかもしれません。
ですが、この「目の前にあるもの」は、自分の意志と無関係に「損害を与えられる」のです。それを、引き受けられるだろうか。
もし、この「たっくん一家」を「あたたかい」という言葉で表してしまうなら、それだけの話です。ですが、これはそうでなく「人間とは、ひとりひとりとは」という、とても面倒な問いかけ、動物であるか人間であるか、そういう、問いかけなのだと思います。
危険なもの、嫌なものから「逃げる」「回避する」。それは動物のすることなのかもしれません。
現代社会では「動物的な強者」を前に「人間」でいることに虚しさを感じます。ですが、それでも「人間」でいる事は「挑戦」であることを、誰にでもできる事ではない事を、確認させてくれるような。
とても「考えたくなる」お話でした。
「たっくんのお家」ならば、おだんごだっておいしい物を作っているに決まっているだろうし、お客さんも離れないんだろうと思います。
食べたいな。
おわり